Posted by : Kyoko Mstra 2014年7月2日水曜日

《会員エッセイ》

ミズトラの会の皆さまにも多数ご参加いただいた、日本翻訳者協会(JAT)第25回英日・日英翻訳国際会議(IJET-25、http://ijet.jat.org/ja/)ですが、講師も含めると600名以上、基調講演一般参加も加えると700名近い方々にご参加いただき、好評のうちに先日無事閉会となりました。実行委員の末席に名を私も連ねたこの会議は準備期間2年という大きなイベントでしたが、手伝ってくれないかとお誘いいただいた2年前がもう遠い昔のように思えます。海外在住方もおられるのでミーティングはもっぱらスカイプでしたが、最初のスカイプ会議は今でもよく覚えています。基調講演も含めどんな講師をお招きできるだろう、どんなセッションを企画できるだろうと、話せば話すほど夢が広がっていきました。私はJATに入会してから日も浅くIJETに参加した経験もなかったのでなかなか実感が湧かず、初の東京開催で前例のない規模、といわれても全体像を把握できず、これほど大変な仕事になるとは思ってもおりませんでした。

委員長が中心となって400人規模を目標にプランを練り、予算を立て、理事会に申請し、連絡用掲示板を作ってもらい、いくつもの会場を見学し、基調講演の候補を絞り、プログラムの案を集め(実際のセッション数の倍以上のアイデアが出されました)、ウェブサイトを作り、IJET-24(ハワイで開催)で披露する宣伝ビデオを作成した頃にはもう1年が過ぎていました。なかなか決まらずに気をもんだ基調講演でしたが、委員長他3人の委員が村岡恵理さんをお訪ねし、ご快諾いただいたときは皆で小躍りして喜んだものです。

一番の関心は400人の参加者が集まるかどうかでした。SNSを駆使してしつこくない程度に宣伝し、チラシも手分けして各方面に配布しましたが、どの程度宣伝できているのかは見当がつかず、参加申し込みの直前は皆不安でした。集客の鍵はプログラムの質であると考え、SIG(法律や医薬などの分科会)の協力も得て時間をかけて案を練りました。日英と英日、各専門分野、通訳と翻訳などのバランスを取る必要があり、委員内での意見の食い違いもあって決して平坦な道のりではありませんでしたが、私たち実行委員自身が翻訳者・通訳者として聞きたいセッションを企画したことがプログラムの魅力の一因だった自負しています。early bird(早割)で400名に達し、締め切り前に定員の550名を超えた時には、参加者の皆さんの大きな期待を感じました。さらにスポンサーが集まるかどうかも心配でした。JAT理事会が外務省や国際交流基金の後援を取りつけてくださったこともあり、また実行委員がそれぞれの顧客としっかりした信頼関係を構築していたことも幸いして、予想を大幅に上回るオファーをいただきました。私はチームの皆さんの人脈と顧客との太いパイプ、そして営業努力と手腕にただただ驚くばかりでした。

長期のプロジェクトにはもちろん困難もつきまといます。私も家族のことで時間を割けない時期があったし、他のメンバーにもさまざまな問題が降りかかって委員を辞めざるを得なくなる方も出て、開催が危ぶまれたこともありました。けれども途中から加わってくださった委員が前任者同様すばらしい方々で、特に副委員長は火中の栗を拾う形で重責を引き受けてくださり、いくら感謝してもしきれないと思っています。

そしてまたその途中交代組の皆さんの優秀なこと、スポンサーとの連絡その他事務手続きを一切引き受けて音が聞こえるかと思えるほどバッサバッサと片付けてくださった委員、賃料が決して安くはない会場相手に見事なネゴシエーションでこちらの希望を通し、ケータリング会社にも的確な指示を出されていた委員、さらに膨大な量の各種マニュアルを英日で準備してくださった委員。ネットワーキング・ディナーのプランニングから司会まですべて引き受けてくださった委員。そして言うまでもなく元からの委員も実務に長けた方々で、プログラムの作成と印刷に奔走し、通訳セッションのセッション手配をすべて行い、参加者のための宿泊手配(代々木オリンピックセンターと提携ホテルの両方)までしてくださった委員、時間と手間のかかるウェブサイトの編集・更新を申し込みフォームも含めほとんど一人でこなしてくださった委員。膨大な入金出金数の会計処理を一手に引き受けてくださった委員(会計処理は終了後も続きます)。事前の会場案内や当日のサポートも含め半年間ずっと村岡さんとの連絡係を務めてくださった上に、翻訳という仕事を少しでも一般の方に知っていただきたいと基調講演の一般公開を企画して手配された委員。宣伝のため行ったプレイベント(名古屋、仙台、東京)にご自身のお仕事が忙しい中すべて参加され、会議当日の機材一切の手配もしてくださった委員。まさに適材適所のすばらしいチームでした。そしてそのチームをまとめ、絶対に成功させるという鉄のような意志でがんばり続けた委員長と、迷ったり悩んだり辛そうな委員長を広い視野と冷静な判断で支えた副委員長は、1ヶ月以上IJET-25にかかりきりだったと思います。私も、せめて他の委員の半分でも力を出せればと思い、非力ながら6月は仕事をほとんど返上して当日ボランティアの手配を含めIJETの仕事に専念しました。ちなみに参加者ボランティアの皆さんは初参加の方が多かったにもかかわらずしっかり役目を果たしてくださいました。また翻訳・通訳という仕事を知るきっかけを与えられたらということで、委員長の発案で学生・社会人のボランティアもお願いしました。来ていただいた皆さんはこの職業に非常に興味を持たれたようで、双方向の社会貢献になったかと思います。

ご存じの通りJATもIJETも会員からの会費で運営され、実務はすべてボランティアが行っています。そのため自分たちのやりたいことを自由にでき、そのことがこの団体の大きな強みだと思います。IJET-25実行委員会ももちろん2年間完全なボランティアとして会議を企画・運営しました。ボランティアとはいえ相当な時間を拘束されるので辛いこともあれば、やめたくなることもあり、モチベーションも上がったり下がったりでしたけれども、ミーティングやスカイプ会議、掲示板を使ってIJET25バースデーケーキのデザインやリフレッシュメントルームのお菓子を考えたり、開催一週間前に皆で委員長宅に集まり、受付時に配布するバッグに資料や景品を詰めたり、終わってしまえば思い出すのは楽しかったことばかり、終わりよければすべてよし、です。青い法被(委員の奥様手作り)やIJET飴、スポンサー提供グッズの抽選会や配布資料集など、皆で出し合ったアイデアもたくさん実現しました。 最終準備に追われた直前一週間と当日は手順通り運ぶことだけに集中していたので記憶も定かではないですが、当日朝委員が円陣を組んで気合いをいれたときの心地よい緊張感と、生まれて初めてインカムを付けて会場を走り回ったことが印象に残っています。パソコンやモニターの不具合からMCの急な変更まで、次々発生する問題に対応しながら参加者の皆さんの楽しそうな様子を見て疲れが吹き飛んだことも覚えています。閉会式では涙をこらえきれない副委員長と一生懸命我慢している委員長を見ながら、涙が止まりませんでした。

そして私がこの2年間を通してかけがえがないと思ったことは、参加者の皆さんと出会えたこと、そしてなにより実行委員の皆さんと出会えたことです。委員のお一人が「大変なことを成し遂げた仲間とは特別な友情で結ばれる」という言葉を贈ってくださいました。名古屋やオーストラリア在住の委員とは残念ながらしょっちゅう会うことはかないませんが、ある実行委員のご自宅に招かれて打ち上げパーティをしたとき、その言葉を早くも実感いたしました。心残りはセッションにほとんど参加できなかったことです。アーカイブは膨大な量なのですぐにアップロードすることは無理ですが(これも実行委員の仕事です)、IJET-25参加者とJAT会員に公開されたらじっくり見たいと思っています。

思えば2年前には私が仲間と主催している「翻訳勉強会十人十色」が発足しました。そしてこの2年の間で日本のあちこちにたくさんの勉強会ができ、翻訳者のみなさんの熱心さにただただ圧倒されている毎日です。ミズトラの会にもいつかきっと参加すると心に決めています。皆さまどうぞ、これからもよろしくお願いいたします。


井口富美子

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